大日ヶ岳、初めての雪山へ

朝七時に設定していたスマホのアラームの音が鳴り響き、理子は目を覚ました。
体の動かしにくさに自分が今、車中泊をしていたことを思い出す。
同乗者たちの方からも微かに物音がし始めるのを感じながら、理子はそっと扉を開けて外に出た。
軽く伸びをする。口から白い吐息が漏れ、つんと肌を突き刺すような朝の寒さ。
少し周囲を見渡せば、多くの車が立ち並んでいる。まだ早朝だというのに賑わっていた。
ここは岐阜県にある高鷲スノーパークの駐車場だ。西日本最大級のゲレンデで、スノーボーダーやスキーヤーに人気のスポット。
けれど、理子たちの目的は他の人々とは少し違っていた。
「おはよー、理子」
次に外に出てきたはるかが快活な様子で言った。
彼女とは同い年なこともあって、他の人よりも少し気安い関係性だった。
「今のところ、天気は良さそうで何よりね」
続けて、久美子が青空を見て安堵の息を漏らす。
数歳の差とは言え、最年長らしい落ち着きが感じられた。
「ふわぁ……」
そして、最後に下りてきた萌はまだ眠そうで、あくびをかみ殺していた。
彼女とはこの中では一番付き合いも浅いが、どうやら朝は苦手らしい。
昨日はこの四人で夕方頃に兵庫県のJR尼崎駅に集合し、そこからレンタカーで数時間かけてここまでやって来たのだ。
たった一つの、共通した目的の為に。
「それじゃ、出発の用意をしていきましょうか」
理子が言うと、他の三人は頷いた。
近くには横長のカラフルな建物があり、彼女たちの視線は自然と、その向こう側に広がる光景に向いていた。
雪が積もり真っ白に染まった雄大な姿が、いくつものなだらかな稜線を描いている。
その山肌には樹林が生え広がっているエリアもあれば、コースとして整えられているエリアもあり、それはまるで白い川が流れているようにも見えた。
大日ヶ岳。岐阜県の高山市と郡上市にまたがる標高1709mの山だ。周囲には他にも名だたる山々が並んでいるので、登山家の間でも人気の場所と言える。
理子たちの目的はこの山を登ることにあった。
大日ヶ岳には山頂付近まで行けるゴンドラがあることから、初心者にもおすすめされている。
自分たちの登山歴は最大でも三年程度であり、しかも今回は初めての雪山への挑戦だ。
果たして、無事に山頂まで辿り着くことができるだろうか。
そこからはどんな景色が見えるのだろうか。
不安と期待を胸に秘めながら、四人は各自準備を始めていくのだった。
理子が登山を始めてから今で約一年半。
父が登山を好んでいた影響で元々興味を持っていた。
社会人になってから少し日が経ち、仕事にも慣れてきたところで始めてみようと考えたのだ。
とは言え、一人で始めるのは心配だったところで偶然、関西で活動する一つの登山団体について知った。
その代表を務めている叶(かなえ)は理子のことを快く迎えてくれて、登山の初歩的なことを教わり、そこではるか達とも知り合うことになった。
それから初心者向けの登山の経験を重ねてきたが、雪山はまだ登った経験がなかった。
同じく未経験だったはるか、久美子、萌と『この冬は挑戦してみたいね』というふうに話をしていた。
すると、それを聞いていた叶がこう提案したのだ。
『なら理子さんがリーダーになって、四人でチャレンジしてみるのはどう? 良い経験になると思う。気をつけなきゃいけない点についてはちゃんと教えるから』
これまでは叶や他の登山歴の長いメンバーが引率してくれていたので、道具の準備も登山のコースや道中の振る舞いも、その教えに従うだけで良かった。
けれど自分がリーダーを務めるともなれば、問題が起きないように多くのことを考えて、行動しなければならない。
責任重大だ。しかも、雪山が普通の山よりも危険なことくらいは分かる。
仕事でもまだ人を引っ張るような経験をしていない身には荷が重い。
理子はそう思って断ろうとしたけれど、はるか達は不思議とその提案に賛同の声を上げた。
『やってみればいいんじゃない? 理子ならできると思うけど』
『私たちも協力できることは協力するから。事前に色々話し合って決めようね』
『理子ちゃん真面目だし、安心して任せられるよ』
そんなふうに言ってもらえたことで、理子は自信はないながらも引き受けることにしたのだ。
それから、今回の登山の計画について考えた。叶に注意点やアドバイスをもらい、他の三人とも話し合いながら持ち物やコースを決めていった。
まずはゴンドラで一気に大日ヶ岳の上まで行き、そこから山頂を目指す。
山頂に着けば、そのまま傍の山まで縦走するのは定番のコースだ。ゴンドラを使うので時間的にも余裕があるはず。
そこからは天狗山の方へと向かうのがメジャーらしいが、今回は鎌ヶ峰の方へと向かうことに決めていた。
そちらは中級者以上の登山者向けで立ち入る人が少ない分、貸し切り気分で良い展望を楽しめるという話を聞いて、挑戦してみたいと思えたのだ。
より良い体験がしたいし、難しい方が達成感もあるに違いない。
もちろんあまりに危険なら避けるべきで、叶にも確認したが、止められはしなかった。教えたことをしっかり守るように、とのことだった。
理子は今回の登山を成功させる為に入念な準備をしてきたつもりだ。
いよいよその成果が試される瞬間が訪れようとしていた。

理子たちは十五人乗りのゴンドラから降り、標高1550mという高さの地点に降り立っていた。
辺りはすっかり雪で埋め尽くされている。突き刺すような寒さも一層厳しくなっており、このまま立ち尽くしていれば、凍えてしまうのは容易に想像できた。
ここから山頂の標高まではたったの150m程度だが、それが決して楽なものではないことはこれまでの登山で既に十分に経験している。雪山ならなおさらだろう。
ゴンドラに乗る他の客はスノーボードやスキー板を手にする人ばかりだった。
本当に登山目的でも良いのだろうか、と列に並んで待っている時は少し肩身が狭く感じもしたが、スタッフは慣れた様子で案内してくれた。
「これでよし、と」
理子は自分の靴にアイゼンを装着し、トレッキングポールを両手に持った。
ポールの先には雪に深く沈まないようにスノーバスケットを着けている。
雪の上を歩いていく際はこういった装備が必須らしい。やはり普段の登山と比べると、持ち込む荷物が多くて大変だ。
他の三人の方を向くと、彼女たちも同様の準備を完了していた。
各自、帽子やネックゲイター、グローブといった防寒対策もできている。
「こっちもばっちり」
「家で着ける練習をしておいて良かったね」
「いつでも行けるよ」
理子は頷くと、地図を確認しながら指差した。
「まずは、あっちですね」
それは立ち並ぶ枯れ木の間を抜けていく坂道だった。自分たちと同じ登山客のものらしき足跡や道具の跡──トレースが複数伸びている。
叶に雪山登山の大切なことの一つとして、なるべく適切なトレースの傍を進むように言われていた。
雪庇、風で雪が宙にせり出した状態になっている部分を踏み抜けば、滑落の危険があり、命に関わる為だ。
既に人が通った場所ならその心配はいらないし、地面が踏み固められて歩きやすくもなっている。
ただ、トレースは間違った道や危険な場所を通ってしまっているものもあるので、必ずこまめな現在地の確認とセットにするのがセオリーらしい。
他にも、冬は日暮れが早いので早朝から動いて正午には引き返すように、天候が悪化すると危険だから天気予報も出発前に確認するように、などのアドバイスを受けていた。
もしトレースが見当たらなかったらどうしよう、という心配もあったが、その問題はなさそうだった。天気が良いので視界もハッキリしており、時間もまだまだ予定通りだ。
「尾根を目指して進んでいきましょう」
理子たちはこのトレースが問題ないかと確かめた上で、それを辿るように歩き始めた。
まずは初めて使う器具の使い心地を感じながら、ゆっくりと進んでいく。
アイゼンの爪がしっかりと雪の地面を捉え、両手に持ったポールでも体を支えられるので、思った以上に安定していた。
ザク、ザク、という雪を踏み締める音と共に一歩ずつ登っていく。次第に雪上での身の動かし方にも慣れて、ペースが上がっていった。
樹木を傍で見れば霧氷を纏っているのが多いのもあって、その写真を撮ってはしゃいだりしていた。
しかし、次第に無言で進むようになっていった。

普段なら大したことのない角度の坂だが、やはり雪の上では疲れ方が違っている。
ようやく尾根まで辿り着いたところで休憩を取ることにした。
「ふぅ……」
理子は飲み物を口に含み、軽く息を吐いた。
周囲には自分たち以外に誰もおらず、どこを見ても白銀の世界だ。まるで異世界にでも迷い込んでしまったような気分だった。
雪山ならではの音が吸い込まれていくような静謐な雰囲気に浸りたくなる。これまでの人生で触れたことのないものだ。
けれど、遮るものが少なくなった為か、風が強くなっているのを感じた。
歩いている時は少し暑いくらいだったが、立ち止まっていると、寒さが全身に染み込んでくるような気がした。
「こうしてると体が冷えちゃいそうなので、問題なさそうならもう行きましょうか」
理子が言うと、はるか達は頷いた。
三人ともまだ余裕はありそうだった。もし誰かの体調が悪くなれば、予定を臨機応変に切り替える必要があるので、常に気を配っておかないといけない。
そこからは稜線を進んでいく。小さなアップダウンを繰り返しながら高みへと登っていく。
標高が上がる度に視界は開けていき、樹木も少しずつ減っていくのを感じた。
白い雪面からの反射光も一層強く感じられ、その頃にはゴーグルやサングラスを装着していた。
やがて、見晴らしの良いなだらかな雪で覆われた稜線が姿を見せると、理子たちは思わず立ち止まった。
樹木を含んだ光景も良いものだが、こうして自然が生み出したなめらかな造形は、目を奪われるものがあった。
その美しさを写真に収め、再び先を目指して歩く。
時折立ち止まって、色々な方向を見回せば、周囲の山々や雪で覆われていないような遠くの大地も一望できて、これだけでも来た甲斐があったと思える景色。
けれど、この道のりにはまだ先がある。そこに辿り着くまでは立ち止まるわけにはいかなかった。
歩き続けた理子たちに見えてきたのは、周囲よりも一段高い雪の丘陵。
その上では立ち止まっている数人が、そこから眺める景色にぼんやりと見惚れている様子だった。

一目で分かった。あれが自分たちの目的とする場所なのだ、と。
無心で足を動かしていき、そうして遂に、理子たちは山頂へと辿り着く。
晴れ渡る空の下、これまでで一番の高みから、見渡す限りの大小さまざまな山々が見える。
綺麗な稜線が色々な方向に伸びており、大地が生み出した芸術とも言うべき景色だ。
そこには冬にしか見ることのできない雪化粧が施されている。
それもまた、いずれ消えていく儚い美しさを表現していると感じた。
「綺麗……」
理子は率直な感想を漏らした。
「だねぇ……」
「凄い景色……」
「来れて良かった……」
誰も多くを語らない。語る言葉を持たない。
ただ、身に染み入るような感動をじっくり噛み締めている。
少しの間、理子たちは静かに山頂からの絶景を堪能していた。
鎌ヶ峰の山頂を目指して

山頂で軽食を食べ終え、写真も他の人に頼んで四人で撮ってもらったところで、次の目的地を確認する。
「あれが鎌ヶ峰ですね」
理子が指差し、はるか達もそちらに視線を向けた。
そこには右手側に樹林が広がる稜線が伸びており、蛇のように波打っていると思えた。山頂はその先にある。
通ってきた道よりも切り立った斜面になっていると感じられ、もし雪庇を踏み抜けば一気に滑り落ちてしまいそうな怖さがある。
単純な距離だけで言えば、一見すぐそこのようにも見えるが、いざ行くとなると大変な労力が必要になるだろう。
もし天候の影響で視界が悪かったり、適切なトレースが見当たらない場合は天狗山のコースに変更するか、ゴンドラ乗り場に戻るように叶には言われていた。
天気は変わらず快晴で、今のところ視界は問題ない。鎌ヶ峰の方には安全そうなトレースも見受けられる。
午後から夜にかけて荒れていくという予報だが、この調子なら大丈夫そうだ。
ただ時間を見ると、少し予定より遅れていた。それはやはり、初めての雪山で自分たちが雪の上を歩くことに慣れていなかったからだと思えた。
果たして今から行って、あちらの山頂に辿り着く余裕があるだろうか。
理子は少し悩んだが、帰るにはまだ早いと思った。
「鎌ヶ峰も行ってみましょう」
「そうだね、ここまで来たんだし」
「でもみんな、無理はしないようにね」
「体力的にはまだ大丈夫、かな」
はるか達も了承し、鎌ヶ峰へと伸びる稜線へと歩き始めた。
トレースと現在位置を確かめながら、雪庇らしき場所にはなるべく寄らないように慎重に進んでいく。
初めの頃は順調で、これなら間に合いそうだと思ったが。
「っ……」
理子は進むにつれ、徐々に雪が深くなっているのを感じ始めていた。

足が想像よりも沈み込む。そのせいで足取りは重く、思うように進んでいけない。
それは着実にこちらの体力も時間もすり減らしていく。
誰も言葉を発する余裕はなく、黙々と前へと足を動かすしかなかった。
どれくらいの時間が過ぎたかの感覚が失われてゆく中、ふと立ち止まって時間を確認した理子は息を呑んだ。
いつの間にか正午を少しだけど過ぎている。もう引き返さなければならない時間だ。
けれど、鎌ヶ峰の山頂はすぐそこまで来ていた。あとほんの数十分で到着できるだろう。
せっかくここまで来たのだから、予定を少し遅らせてでも鎌ヶ峰の山頂に辿り着くべきか。
それとも、事前に決めていた通りに安全第一で戻るべきか。
たったの三十分くらい遅れたところで、大した影響はないに違いない。それなら、山頂に着いてからすぐに引き返してもいいはずだ。
こんな途中で止めても後悔が残ってしまうだけ。大日ヶ岳だけじゃなく鎌ヶ峰の山頂にも到達できた、最初に決めた目的を全て達成した、そう思えることはきっと気分が良いはず。
そんな考えが脳裏をよぎる中ではるか達の方を見ると、黙って理子の判断を待っている様子だった。
そこで彼女たちに責任を負っていることを思い出す。自分が決めたならきっと、従ってくれるだろう。だからこそ、決して甘い判断をすべきではなくて。
考える。この登山で本当に大切なことは何なのか。
理子は葛藤の末に、一つの決断をした。
「……戻りましょう」
そう言うと、はるか達は惜しむような表情で鎌ヶ峰の山頂に視線を向けた。
やはり彼女たちも、せっかくここまで来たのだから、という思いがあるのだろう。
二度と来れないわけではないけれど、それなりに時間を掛けて岐阜までやって来て、頑張ってここまで登って来て。
だから、ほんの少し予定を遅らせたところで問題はないんじゃないか、と。
そんな思いが理解できるからこそ、理子はハッキリと言う。
「また来たらいいんです。山は逃げませんし、本当に大切なのは、別に山頂に辿り着くことじゃないはずですから」
そう自分で口にして、理子は自らの心が晴れるのを感じた。
それは事前にリーダーとして意識していたこととは違っており、この雪山登山を体験した中で自然と湧き出てきた答えだったのだから。
「そう、だね。確かに、理子の言う通りだよ」
「少しもったいない気もしたけど、そんなことは全然ないのね」
「考えてみれば、もう最高の体験はしてるもんね」
はるか達は迷いが消えた表情を浮かべ、そうして、四人でこれまで来た道を戻り始めた。

一度通った道は歩きやすく、また下りが中心になるので、帰りは足取りも軽く進んでいった。
大日ヶ岳の山頂に着くと少し休み、そこからまたゴンドラ乗り場を目指して歩いていき、思っていたよりも速いペースで無事に到着する。
ただ、問題が何もなかったとは言えない。
天気こそ崩れていなかったが、風は午前よりも強くなっているのを感じ、鮮明に見えていたトレースも半分くらいは目視が難しい状態となっていた。
そのせいでトレース以外のところに足を踏み入れてしまい、深みに嵌ってしまうという出来事もあった。
無理せず早めの撤退判断をしていて良かった、と理子は今更ながら思う。もしあのまま進んでいたらどうなっていたか。想像しただけで背筋が冷たくなった。
こうしてゴンドラ乗り場まで来れてしまえば、もう後は危険なこともないだろう。
理子はようやく気を緩めることができ、はるか達も大きく息を吐いた。
「無事に帰ってこれて何よりだね」
「お疲れ様、理子ちゃん」
「リーダーとしてバシッと色々決めてくれて助かったよ、ありがと」
彼女たちが労ってくれたお陰で、理子の胸中にちゃんとやれたという実感が湧いてきた。
当初の目的を完璧に果たすことはできなかったが、それでも確かに得たものはあった。
仕事をしていると、どうしても決めた目的を達成することが大事だと思えてしまう。
けれど、本当はそうじゃない。
過程が大切なのだ。それが満ち足りたものであれば、たとえ目的が完璧には達成できなくたって、喜ばしい思い出になる。
この四人で一緒に大日ヶ岳の山頂に辿り着いたこと、そして、鎌ヶ峰の山頂を目指して頑張って歩いたこと。
そこで見たものや感じたことはこれからもきっと忘れないだろう。理子はそう思えた。
「さて、これからどうする?」
「まずは下で美味しいご飯を食べて、それから近くの温泉かな」
はるかに問われ、理子は朗らかな調子で答えた。
皆が期待に胸を膨らませ、「賛成~!」と明るい声を上げた。
そう、山を下りたらそこで終わりじゃない。
ゆっくり休んで、寝る前にはきっと山で感じたことを思い出して。
そのうち、次に登る山について考え始める。
どこへ行こうか。誰と行こうか。
続いていく。繋がっていく。いつまでも、どこまでも。
それはまるで、果てなき山を登り続けるように。

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ノベルズ版 第五幕
2026年岐阜遠征 ― 大日ヶ岳・鎌ヶ峰編 ―
Fin
あとがき
本作「本当に大切なのは」を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
この物語で描きたかったのは、雪山の厳しさそのものよりも、「決断の重み」でした。理子が直面したのは、山頂まであとわずかという状況での撤退判断。登山経験のある方であれば、あるいは仕事や人生の岐路に立った経験のある方であれば、一度は似たような葛藤を味わったことがあるのではないでしょうか。
「ここまで来たのだから」「あと少しなのだから」
その気持ちは、とても自然で、そして強いものです。
けれど、理子はそこで立ち止まりました。
山頂に立つことよりも、一緒に来た仲間全員で無事に帰ることを選びました。
雪山登山において本当に大切なのは、登頂の成功ではなく「安全に下山すること」だとよく言われます。これは登山に限らず、私たちの日常にも通じる考え方だと思います。
目標を達成することはもちろん素晴らしいです。しかし、それ以上に大切なのは、その過程で誰かを失わないこと、自分自身を見失わないことなのではないでしょうか。
事故の多くは「無謀」ではなく、「少しの無理」から始まると言われます。理子が守ったのは、山頂ではなく、仲間の未来でした。
理子は完璧なリーダーではありません。自信も揺らぎ、迷いも抱えます。それでも最後には、自分の中で「本当に大切なもの」を選び取りました。その瞬間、彼女は少しだけ成長したのだと思います。
「また来たらいいんです。山は逃げませんから」
その言葉は簡単そうでいて、とても難しい選択です。それは、自分の欲よりも、命と信頼を優先する覚悟だからです。
当初の目的を完璧に果たすことはできなかったかもしれません。
けれど、四人で大日ヶ岳の山頂に立ち、鎌ヶ峰へ向かって懸命に歩き、そして無事に戻ってきた。 その過程こそが、この山行の本当の価値でした。
山は逃げません。そして、挑戦の機会もまた、きっと巡ってきます。
この物語が、あなたが次に山へ向かうとき、あるいは人生のどこかで判断を迫られたとき、ほんの一瞬でも支えになれたなら、これ以上の喜びはありません。
あなたにとって「本当に大切なもの」は何でしょうか。
そんな問いを、心のどこかに残していただけたら幸いです。
2026.2.17
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